服部様へ
Blogへの訪問とコメントありがとうございました。
返信コメントが長くなってしまったので、1つの記事として掲載させていただきます。
子ども達の自殺がクローズアップされるのは
大きな社会問題だと思います。
諸外国ではいかがなものか?
と思ってしまいます。
教育現場では繊細でおとなしく、
『精神的なタフさ』がない(あまり感じられない)子どもも散見しますが、
その一方で、教師(大人や親)の言うことに耳を傾けず、
指示も聞かず、傍若無人の態度で振る舞う子ども達もいます。
そのような子ども達が『精神的にタフ』だとは思いませんが、
最近では『しつけが悪い』のではなく『精神的な病気・障害』として
認知されているようですね。
子ども達の2極化というより、歪曲した多極化が家庭はもちろん、
教育現場や社会では加速化し、顕著になっているのではないか?
と危惧します。
「みんな違ってみんないい」という言葉がありますが、
『違って』の部分が独り歩きして、
昔(僕が体験しているのはゆとり教育とその前の世代ぐらい)と
現在でも大きく違うように感じます。
それだけ子ども達を取り巻く社会環境は激変して、友人関係も、
コミュニケーションも難しく、複雑化しているのでしょうね。
パソコンや携帯電話などのツールが発達しているのが、逆に、
円滑な人間関係の構築に歯止めをかけている傾向があるとも感じます。
友達づきあいや学力に対する考え方も多様化していますし、
親も出てくる家庭間でのトラブルも子どもに悪影響を与えることもありますね。
日本の教育より他国の教育の方が魅力的だと感じている方々も多いようです。
アメリカならいざ知らず、日本国内の都道府県単位でも
子ども達が享受する教育は様々なようですし、
隣の学校同士でも違うし、クラス間でも先生が違えば、
受ける教育も違う場合も多いようです。
教育に関する主義や主張や思想も、先生同士で全く一緒なのは
有り得ないことでしょうし、若い先生とキャリアを積んだ先生が同じ学年を組んだら
手法や技量に色々な違いや差が出てくるものだと思いますが、
目的地は同じであってほしいものです。
日本の多くの先生方は有能だと信じていますが、、
子ども達とその後ろに控える保護者のさじ加減ひとつで、
学校や人間関係は、どのようにでもなっていくので、
今の教師は無力さを感じ、教育に対する熱意や意欲が
乏しくなっているのではないか?
動きたくても動けないのではないか?
言い出したくても口にできないのではないか?
頑張っても報われないのではないか?
努力しても評価されないのではないか?
と思います。
もちろん、見返りを求めて子どもを教育しているわけではないでしょうが・・・
自殺する子どもを救えなくても教師(教育現場)の責任
崩壊しても教師(教育現場)の責任
学力が向上しなくても教師(教育現場)の責任
教師が無力だとは思いませんが、万能の神様ではありません。
ただ、以前に比べて、教師は、保護者どころか子ども達にも
リスペクトされないようですし、保護者からは、
担任同士で比較され、批判も陰口もたたかれます。
まぁ、どこへ行っても、そんな職業や役職はあると思いますが、
教師や担任の先生の存在意義すら危ぶまれているような感も否めません。
教師志望の学生が、かつてより減少しているようですから、
学生にとって『今の教師』という職業には以前より魅力を感じないのでしょうね。
というか『ワリにあわない』と考えられているのかも知れません。
結果、現場では優秀な人材が不足していっている感もあると
TV番組でコメントされていました。
自殺・ニート・いじめ・不登校・学力低下問題・
学級崩壊・学年崩壊・学校崩壊・教育格差など・・・
数え上げればきりがないですが、様々な問題が、
児童・生徒・学生という個人や交友関係、学級や学校のような
“小さなムラ社会”だけでなく
もっと大きな社会全体・・・
もしかすると、日本という国家、いや、それ以上、
地球的規模(特に先進国)で蔓延している気がしてなりません。
アジアの近隣諸国でも、日本より子ども達の競争の激しいと言われている
韓国やシンガポール、中国、富裕層だけが高い教育を受けられる
教育格差の激しい途上国など様々なようですが、
日本人は国際社会で生き残れるのか?
という命題に、自信を持って「YES!」と答えるのには
誰しもが躊躇してしまうでしょう。
『教育は国家百年の計』と言われますが、
政治も経済も、問題は山積みされたまま・・・
というか、大きく積みあがっていくまま、
結論も結果も成果も答えも出ない出口の見えないトンネルが
このまま、どこまでも果てしなく続いていくんじゃないか?
と心配します。
以上、自分の雑感を長々と書き綴ってみました。
長文で申し訳ありません。
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